広州GNZ48五期生 謝菲菲(シエ・フェイフェイ)、丸坊主の女の子が入団するまで

広州GNZ48 謝菲菲が自ら話した経歴を文字でまとめた現地ファンがいて、中国の格差社会が垣間見えたのでご紹介。

農村に生まれ、子供のころ貧しくて坊主頭にされていた女の子が、GNZ48に入団するまでのお話。ファンがまとめた文章と、本人が補足した文章を日本語試訳する。

SNH48のメンバーには富裕層、大都市の新興中間層、二線・三線都市や農村戸籍出身者などがいる。いちばん多いのは新興中間層だが、ごく少数、貧しい家庭出身のメンバーもいる。

謝菲菲はわけあって貧困層に転落した家庭出身で、スターになる一攫千金を夢見てアイドルになるほど「バカ」ではなく、現実を直視していることが彼女の文章から分かる。

まずファンが2019/05/06にまとめた文章から。赤字はこのファンがまとめた文章に謝菲菲が訂正を入れた部分。

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広東省海陸豊の農村に生まれ、両親はあちこちへ肉体労働の出稼ぎに行っていた。兄が2人。

母方の祖父母はむかし海南省で、老齢にもかかわらず農村で山椒を植え、山を守るために犬を五、六匹飼っていた。犬はみな米を食べ、あばらが見えるほど痩せていた。

子供のころから農村にある父方の祖母に預けられ、祖母は彼女の頭にしらみがわくので頭を丸坊主にした。

そのころ家に泥棒が入って警察官が調べに来たとき、彼女の頭をなでながら言った。「坊主、怖がらなくていいぞ」

彼女は黙ってふり返り、ひとこと、「おじさん、わたし女の子だよ」

少し大きくなってから、町の親せきの家へ預けられた。おやつの「辣条」を食べると腹痛で涙が出たが、母親に会うときは、母親の前で辣条を食べた。(訳注:たまにしか会えない母親に構ってもらうため、わざとお腹をこわした)

子供のころダンスを習いに行きたかったが、死体みたいに体が硬いくせにと母親に皮肉を言われて、その考えをやめた。

両親が彼女に臨んでいたのは、工場の女工やスーパーのレジ打ちなど、安定した仕事をさがすことだった。しかし彼女はそういう仕事に行かされたくなかった。

専門学校に通い、アナウンスと司会を専攻したが、スターになりたいという夢はまったくなかった。ただ少し技能をみにつけて、みんなに認められたいだけだった。結果、その専門学科は人が少なすぎたため、広告制作学科と合併された。

専門学校の最後の一年、17歳、学校のサークルの先輩の女子学生に心にだまされ、広東省茂名市へダンスの仕事をしに行かされた。

自分のお年玉から旅費を工面して茂名市に行き、一か月の給料は2,000元にとどかず、半分はその先輩にピンハネされた。(訳注:このあたりの詳細は後でご紹介する彼女自身の文章を参照)

だまされたことに気づいて帰ろうとしたとき、先輩が彼女を指さして、もういいよ、あんたブスだし、ダンスも下手だしと言われた。

それを彼女は信じて、次の実習では広告会社でポストプロダクションの動画編集の仕事についた。いつも残業で、会社の接待で毎回年齢や学歴を聞かれるたびに、全部人より劣っていて、顧客に冗談で横に座れと言われたりした。

18歳、実習中に広州絲芭が新人を募集しているのを見て、こっそり面接試験に参加、食事も住居も提供され、給料もなかなかで、動画編集の仕事のように毎日深夜になることもない。

実習を始めてから、実家に一銭も無心したことがなく、両親の彼女に対する考え方は、外でアルバイトをしていて、食っていければいい、というものだった。

なので、今アイドルの仕事をしていることも実家には話さず、広州市で広場舞の指導をしていると話し、広州絲芭の社名をフルネームで伝えてあるが、母親はあまり疑っていないという。

キツネちゃん(高源婧:広州GNZ48 Team Gメンバー)は以前彼女のことを「杉菜」のようだと言ったことがある(訳注:『流星花園』の登場人物のことと思われる)。

たしかに似ていると思う。外見は柔和だけれど、内心は強い。負けず嫌いの強靭な意思を持っている。同時に小さいことは気にせず、飾り気がなく、愛嬌がある。

ときどき思うのは、彼女は自分の性格が男の子っぽくなり、服装も中性的(私服はいつもダブダブのパンツに化粧品も国産品、ひらひらしたカワイイスカートははいたことがない)だが、これも子供のころから自分を守る一つの方法だったのかもしれない。

彼女にも女性として青春期や成長期の悩みがあって、17歳のときから自分で金を稼いで生活するというプレッシャーに直面してきた。

ここまでがファンの書いた文章。この文章について、2019/05/09に謝菲菲自身が公式アプリ「Pocket48」に以下のように書き込んだ。

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中国ツイッター(新浪微博)にあった私の「成長物語」についてちょっと話すねwww。

家族関係と家庭環境については、小学三年生のとき私の家はぜんぜん貧乏じゃなくて、逆にお金持ちだった。自慢してるわけじゃないよ。あのころも私はお金が好きじゃなかったから!

モノが買えなかったのは、必要なものは何でも家にあったから。子供のころは数十元もするペンケースをを使ってた。あのころ東莞で肉団子スープが一杯たったの2元だったから、数十元はそうとうな金額でしょ。

お金がありすぎて私の兄は外でインターネットをやってたくらいwww。たぶん両親は仕事がうまく行ってたから、私のそばにいなかった。

家庭環境としては、娘には厳しく、息子は甘やかすという感じで、思い出すかぎり一度もちゃんと誕生日をお祝いしてもらったことがない。

小学四年生のときにやっと両親といっしょに生活できるようになって、だいたい小学校三年生から四年生まで、そういう生活が続いた。

その後、よく言う官吏が庶民にだまされるってやつで、両親が親戚の人にだまされて、破産した……

実際の理由は専門学校に通ってるときから(お金がなくて、ずっとずっと両親に頼んでやっと専門学校に入れた)、だんだん自活し始めたから…

学校に通いながらやったアルバイトは、店員、チラシ配り、レジ打ち、宣伝、物売り、ボランティア、工場で食品梱包、ラベル貼り、おもちゃの色塗り(塗料の臭いがほんとすごかった)、その中でいちばん楽だったのがダンスだった…

地下鉄の白雲駅から金州まで一時間以上かけて通うボランティアの仕事は、一日で食事代として20元(日給約320円)しかもらえなくてキツかった(でも楽しかったけどww)。朝7時から夜10時近くまでレジ打ちする仕事も、たった50元(日給約800円)。

先輩にだまされて一か月あまりダンスをやったときも、たった50元(日給約800円)。毎日8ステージで、ときどき一晩2ステージだけで150元もらえることもあったけど。

あのころは家族を心配させたくなくて、何をやるにしても基本、両親には話さなかった。友だちにも良い面しか話さなかった。

ここまでが専門学校に通っていた二年間のできごと。

17歳で実習生になってからも、家からは一銭も仕送りを受けなかった。たぶんアルバイトの運が良かったんだと思うけど、実習の最後の日にかなりいい仕事を見つけられた。

自分で稼いだお金で自分の欲しいものを買って、エアコンのない相部屋に月500元(約8,000円)で住んだこともある。

都会のど真ん中にある古い住宅街は、いったん雨が降るとずっとジメジメしてた。8階まで階段で上るエアコン付きの部屋に相部屋で住んでたこともある。

超満員のバスに30分近く乗って、さらに30分地下鉄に乗って出勤してた。雨の日の朝早く、誰もいない街路で一人ずっとバスを待って…

一日2、3時間しか睡眠をとらず、イベント会場に行って照明や液晶スクリーンのリハーサルをやって、キャストの代役でダンスをしたらまた調整室にもどって…夜中の12時にやっと仕事が終わるという感じ。

幸い実習中にいい親方に出会って、その人がいい先生でもあったからいろいろ勉強させてもらった。知らない人とも少し知り合いになれた。ただ私には合わなかったけど…

もっと自分の居場所がある良い仕事がしたくて…そのころのお給料は無駄づかいしないようにしてた。

最終的に私がここ(訳注:広州GNZ48)を選んだのは、以前の仕事にくらべて居心地が良くて、楽で、家賃や光熱費の心配がなくて、通勤の苦労がなくて、食事も住居も込みで、ときどき雑談できる人もいるから。

せいぜいダンスや自分の性格のせいで、会社の仕事やファンのことで頭が痛い程度。気をつかいすぎることもないし、もっと多いのは学校の冗談。

ここは夢の起点とか職場というより、学校みたいな感じ。みんなほんとに心が広いし、上手くいくかどうかは、自分がまじめに仕事をするかどうか、この仕事が自分に合ってるかどうか。こんな性格だから、その時になって考えればいいという感じwww

じっさいこの仕事が合わなければ、ここでダンスの技術を学んで外でダンス教師になればいいわけだしwwww(ツンデレ)(訳注:思ってもいないことを冗談で言ってみた、という意味)

私が15歳以降に経験したのは、無知、裕福、 無一文、冷たい視線、嘲笑、何度も生活が崩壊したこと、人生のどん底、失望、絶望、恐怖。

でも今の私はかなり良くない?私は悲惨じゃないと思ってる!人に比べれば自分は幸せだよ!まだ生活できてるんだから幸せでしょ!

今の私は一生懸命仕事をしてる!がんばってお金を稼いで、自分のやりたいことをやってる!

今落ち込むことなんてないでしょ?何事もいつかは過去になるでしょ?角度をかえて見れば、ちょっとは楽しくなれるかもしれないでしょ!じっさいイヤなことがあれば泣いてしまえばいい。

それから!他人のことを惨めだとか言っちゃダメ!他人を惨めだと言う人こそ惨めだよ!

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