元SNH48専属司会者兼バラエティー班責任者アージーさん回想録(1)

上海SNH48の専属司会者兼バラエティー班の責任者だった「阿吉(アージー)」こと張競さんが運営会社を辞職した。円満退職で新しい仕事を求めてということらしい。

退職後、阿吉さんが中国ツイッター(新浪微博)で「回想録」をツイートしている。上海SNH48が結成されたばかりの四年前の様子がよく分かって、ものすごく面白いので順次日本語試訳する。

いってみれば阿吉さんはSNH48の歴史の証人。SNH48ファンは必読!

回想録第一回

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あっという間の4年、卒業の季節になった。
遠い旅から先ほど上海に戻り、ダイレクトメッセージでたくさんのみなさんが関心を寄せてくれた。とても感動した!時が来たと思うので、みなさんと一緒に過ごした熱血の青春をしっかり記録して、忘れがたい月日との別れを惜しむことにしよう。

2014年初め、まだ寒さの残る嘉興路で(訳注:SNH48劇場のある場所)イケメンの黒いコートの男が(三十代だが、少なくとも若者に見えたんだよ)、ある劇場を探していた。当時の彼はそれに続く4年間、ここですべての情熱と夢をふるって、人生で最も多忙な4年間のキャリアを過ごすとは思いもしなかった。

さらに思いもよらなかったのは、募集面接が理髪店の中で行われたことだ(その後になってメンバーの休憩室が未完成で試用中だと知った)。内心、ここに勤めるとTONY先生と改名を迫られるのでは等々の可能性をひそかに疑わざるをえなかった。

厳粛な面接官がやって来て、恥ずかしそうに話を始めた。もちろん、彼女が恥ずかしがっていたのが僕がイケメンなせいではないと分かっていた。ただ横の洗髪台があまりにピカピカに輝いていたからだ(ふつうピカピカの洗髪台のすぐ横にいて威厳を保つのは難しい)。

「えっと、SNH48は知りませんよね」

「ああ、知ってます!」

自分の博識を示そうと、僕は考えもせずそう口にした。「あの達人ショーであやうく転びそうになった女性グループですよね?」そう言ってから、急に大して間違ったことは言ってないと思った。

沈黙…

洗髪台の輝きに目がさらにチカチカした…

最終的には順調に面接を通過して、その後の面接の内容ははっきり覚えていないが、あのキラキラ輝く洗髪台は、永遠に僕の記憶にしっかりと刻まれるだろう。

初めて公演を観たのは、面接当日の夜だった。観客もまばらな客席にがたいがよく手に棍棒を持った男が数人座り、立見席には床に大の字で寝転がっている観客がいた(当時立見席は抽選ではなく、先に着いた人が友だちに場所取りをする必要があった)。僕は戦々恐々と席を探して座った。

十数年オフラインの芸能活動をしていた僕にとってとても興味深かった。あの奇妙な虹の形をした門の下で(訳注:当時SNH48劇場の舞台背景には虹がかかったような形のセットがあった)、どんなパフォーマンスが行われるのか?ほどなくして、唐安琪が現れた。

『シアターの女神』の前座曲に僕は巨大な感動をおぼえた。合計二回。一回は、あの日初めてファンのコールの声の威力を知った。客の入りは四割にも満たず、ファンが三々五々コールしているだけなのに、驚くような大きな声で、心を揺さぶられ、両脚が震えて逃げ出したいほどだった。

もう一回は、北京BEJ48初演のとき、観客が揺れ動いて、雨のように汗を流して、大変な盛り上がりのとき。イントロが始まると、僕は事故に遭った安琪を思い出し、それほど盛り上がっていなかったあのときの劇場を思い出し、急に涙をこらえられなくなった。(訳注:唐安琪は2016/03/01に全身やけどを負った)

僕にとって『ロマンスかくれんぼ』は永遠に唐安琪のものだ。

勤務し始めたばかりのころ、運営会社の事務所は、劇場の最上階にあった。じつは最上階というより屋上と言う方がぴったりくる。バルコニーが事務所だったからだ。事務所から数歩のところに、バルコニーがあった。狭苦しかったが、タバコを吸うにはかなり便利だった。

ある日、のんびり煙を吐きながらアイデアを考えていた時、見知らぬ中年オヤジがライターを借りに来た。イケメンの若者が中年オヤジと何を話したらいいか分からないだろ。お互い黙ったままそれぞれタバコを吸って気まずい雰囲気になった。すぐにタバコを吸い終わってもそのオヤジは立ち去る様子がない。僕はオフィスに戻ってアイデアを考え続けるしかなかった。小声で同僚に、あのオヤジは何かの修理に来たのか?どうしてタバコを吸い終わったのに仕事を始めないんだとたずねた。

人生経験はいつも僕たちにたくさんの真理を教えてくれる。その中の一つ:中年オヤジは必ずしも修理に来るわけじゃない。あの日、僕は初めて子傑殿下に会ったんだ。(訳注:子傑殿下はSNH48運営会社社長の王子傑のこと)

番外編

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阿吉さんの退職についてファンの間でデマが流れたので、阿吉さん自ら経緯の説明。

最近いろんな憶測が広まっていて、質問してくる人が大勢いるので、僕を気にかけてくれるファンのみなさんに説明しておこう。まず僕が離職したことについての説明。

まず陶総に感謝します。離職を申し出た後、直接会ったりダイレクトメッセージなどで何度も引き留めようとし、待遇面を良くする提案もして下さった。

またHRにも感謝します(そう、あの威厳のあるお姉さん)。4年間至れり尽くせりで面倒をみて下さり、最後の時間まで深く感銘をうけた誠意をもって引き留めて下さった。僕は深く心に覚えておく。

もっともっと感謝したいのは王社長。4年間心を尽くして注意を促しいろいろ教えて下さり、離職を届け出たすぐ後に、忙しい間を縫って私を家に招待して深夜まで話し、さまざまな業務上の遺留案を話し合って下さった。

さらに感謝したいのはすべての48メンバーと同僚たち、この4年の仕事をずっと支えて、最後の離職の時にも心から祝福して下さった。

それから感謝したいのは、僕のチーム。自主製作番組『SNHELLO』の制作費、これはコラボ番組『進撃的女生』の四分の一しかなく、『窮途陌路』に比べれば微々たるものだった。「阿吉」誕生の主な理由は、じつは司会者の予算をねん出できなかったこと。ワンシーズンの自主製作バラエティーのコストは、優れたMVを一本撮影する予算にはるかに及ばない。さらに言えば会社のゲームに付属したバラエティーとして完成させざるを得なかった番組――『48狼人殺』は、それでもたくさんの人に注目してもらえた。この4年、僕のバラエティー制作班のみんなはやり遂げた!

それから上海メディアグループの僕の親友たちの助力と支援にも感謝したい。48がまだ「村を出ていなかった」(訳注:知名度がなかった)とき、毎年年越しや旧正月の特番に出演させてもらえた。『国民美少女』という番組もあった。議論や仕事のプロセスでは苦労やいろいろな障害が多すぎたし、少なからずファンが君たちを罵ってしまったけれど。(訳注:番組収録時の元メンバー曾艷芬への番組スタッフの対応について彼女のファンが上海東方衛星テレビを盛大にディスった件)

最後に衛星テレビ各社、ネットの動画サイト、大制作会社の各社の親友たちにも感謝したい。君たちの支援があったからこそ、『隐藏歌手』『最強大脳』『為你而歌』『極速前進』『蓋世音雄』『吐槽大会』『耳辺風』『脳大洞開』『星厨駕到』『蜜食記』などなど枚挙にいとまがない良質な番組で、メンバーに舞台で表現するチャンスを与えてくれた。

僕の人生は、ときどきあえて愚かな決定をする。たとえば48に入社した当時、友だちのディレクターに一回分の給料にもならないお金で、無給の司会までやってもらった。こんなグループ聞いたことがない、お前は何やってんだ?という友だちもたくさんいた。
僕は言った。人は夢がなければ、魚の干物と何の違いがある?(訳注:台湾のロックバンド五月天『鹹魚』参照)

たとえば今回SNH48グループが新たなステージに飛躍する前に離職することにした。そしたら今まで頑張って来たのに、なぜもう少し頑張らないんだ?という友だちがたくさんいた。
僕は言った。人は夢がなければ、魚の干物と何の違いがある?
すべてを『SNHELLO』に始まり、『SNHELLO』で終わることができて、僕は満足している。

良質な職場を離れて、個人の能力が一瞬で何もない状態になってしまった。でも、僕はどこにいても一人じゃない。ここにまだ百万(四千)の阿吉ファンがいるじゃないか。

だから、いっしょに夢のためにあえてバカをやり続けようぜ、わかったかい?

みなさんありがとう、将来も、よろしく!

阿吉 2018年5月15日

(回想録第二回につづく)

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