広州GNZ48青春ドキュメンタリー『四十八分の七』

広州GNZ48のドキュメンタリーが公開された。広州GNZ48映像制作チームにしてはごくごく普通のドキュメンタリー。

タイトルの『48分の7』の意味は、去年2016年第三回総選挙で、GNZ48のTOP7のメンバーということ。

第1位から、ハナちゃん(謝蕾蕾)、リカちゃん(唐莉佳)、ナオナオ(盧靜)、Kimmy(鄭丹妮)、キツネちゃん(高源婧)、Kiko(李沁潔)、soso(張瓊予

この7名の追跡とインタビューからなるドキュメンタリー。

個人的に面白かったカットは以下のとおり。

オーディションのときのSNH48六期生、GNZ48チームNIII Kimmy(鄭丹妮)。

SNH48五期生、六期生はオーディションの最終合格時に、すでに北京移籍組、広州移籍組が決まっていたこと。

下の写真、ぼかしがかかっている人はたぶん最終的に契約書にサインしなかったと思われる。後列左はシャオシー(馮嘉希)、Kimmy(鄭丹妮)。前列いちばん左は、つき(羅寒月)。

GNZ48メンバーが初めて広州に来た時、まだ宿舎はできていなかったこと。

インタビューの内容で印象に残ったのは、ナオナオ(盧靜)が、チームNIIIメンバーの中では年齢が上でダンスを覚えるのが遅いのを気にしていたこと。年齢が上といっても、3~5歳しか変わらないんだけれど。

ハナちゃん(謝蕾蕾)が学業とアイドル活動の両立が大変、というのはSNH48グループのドキュメンタリーにかならず出てくるパターンなので、いいだろう。

soso(張瓊予)が両親はほんとうはアイドルになって欲しくなくて、公務員か、国有企業の経理の仕事などを望んでいた。でも今では応援してくれているということ。

後半は、キツネちゃん(高源婧)がメインになっている。

ある日、母親と話をしていたら、成都っていいところだから老人になったら成都に住みたいと語ったのを聞いた。

ふつうの仕事では20歳、30歳になってもその望みを実現できそうにないけれど、アイドルの仕事が見つかって、他の人が大学を卒業するころには、母親の望みをかなえられるかもしれない。

それから、キツネちゃん(高源婧)は、運営会社から去年の水着MVのオファーがあり、とても喜んだのに断ったらしい。

その理由は、MV撮影のための資料を集めに山東省の実家に帰って初めて、母親が強盗にあって8か所を刃物で切られ、20~30針縫うケガをしていたことを知った。

そのころ彼女は海南省三亜で仕事をしていて、母親とも電話で話しをしていたのだが、入院していた母親は娘を心配させまいと、ふつうに話していた。

しかし旧正月特番の収録の仕事や連合公演があり、それらの仕事が終わるまで実家に戻ることができなかった。なので自分のことを、不合格の親不孝者だと思った、と涙を流しながら話している。

自分がアイドルになる夢をかなえたのは、母親のためじゃなかったのか。でも母親がケガをしているときに、アイドルの仕事のせいでそばにいられない。

母親は、水着の仕事があるんじゃなかったのと聞いたが、彼女は、実はあきらめたと答えた。水着の仕事はまたあるかもしれないけれど、私にとってお母さんは一人だけだから。私にとってお母さんは夢の大事な一部分。

エンディングは広州GNZ48オリジナル曲『こんな私(這樣的我)』。

最後に出てくる「出品人」はSNH48グループ社長の王子傑、「総監制」は広州GNZ48の劇場支配人というか、子会社の広州絲芭文化伝媒有限公司の社長・周馬。