広州GNZ48チームG全曲オリジナル公演の名曲『Gravity』の歌詞を全力で深読みしてみた

広州GNZ48チームGの全曲オリジナル新公演『双面偶像』から、M15.Gravityの歌詞を日本語試訳。作詞は中国の秋元康(?)こと甘世佳。

例によって甘世佳さんの歌詞はものすごく密度が高い。オンライン生放送の弾幕コメントにも「甘世佳の歌詞は何を言っているのか分からん」と、中国人でさえ書くくらいなので。

いったん日本語試訳してから、長々と解説を付ける。

泥沙做的偶像
一个一个走上
竞技场尘埃飞扬

泥砂で作られた偶像が
一つまた一つ
競技場に上がり 砂埃を巻き上げる

还没学会伪装
迫不及待奔向
欢宴上熙熙攘攘

自分を偽ることを知らぬまま
待ちきれず駆けてゆく
輝かしく賑わう宴へと

回头望万世风光
眼前是广州塔之上
一纵身的下场
别怪我喜欢飞翔

振り返れば永遠の美しい風景
目の前の広州塔の上
身を躍らせ舞台に降り立つ
私のせいじゃない 翔ぶのが好きなの

就当这是最后一趟
让我身体如歌绽放
才不枉 握过的手掌

たとえこれが最後の一回でも
身体を歌のように咲かせよう
握ったあの掌を ムダにしないため

就算随着重力下降
落地之前容我再唱
几万场 这念念不忘

たとえ重力につれて 落ちていっても
着地の前に もっと歌わせて
何万回でも 決して忘れないから

远古那个女王
捏出来的偶像
谁比谁更加高尚都一样

遥か太古のあの女王が
作り出した偶像
誰がより気高いかなど みな同じ

娑罗树影成双
枯荣都是虚妄
要什么华丽伪装

沙羅双樹が二つ影をなし
栄枯盛衰もみな虚妄
ならば何も要らない 華麗さを装うだけ

让天堂换个方向
重力加速度的力量
让我贴地飞翔
等绝唱 不如发光

天国の方向を逆転させ
重力加速度の力を借りて
地を這って翔ぼう
絶唱を待つより 光を放とう

就当这是最后一趟
让我身体如歌绽放
才不枉握过的手掌

たとえこれが最後の一回でも
身体を歌のように咲かせよう
握ったあの掌を ムダにしないため

就算随着重力下降
落地之前容我再唱
几万场这念念不忘

たとえ重力につれて 落ちていっても
着地の前に もっと歌わせて
何万回でも 決して忘れないから

oh oh oh
太念念不忘

決して忘れないから

风雷电的交响
在我耳边回荡 回荡 回荡

風と稲妻が響き合い
私の耳元でくり返しこだまする

谁说这是最后一趟
不要低估梦的重量
这一场 没有人退场

これが最後の一回なんて誰が言ったの
夢の重さを見くびらないで
この一回の舞台からは誰も退場しない

我们逆转重力方向
向着青空呼啸而上
有翅膀 在身后延长

私たちは重力の方向を逆転させ
青空に向かって叫びながら昇ってゆく
背中の翼を大きく広げて

oh oh oh
我喜欢翱翔

私は翔ぶのが好き

oh oh oh
(重力之下天空之上)
我喜欢翱翔
(可曾看见我的翅膀)

(重力の下 大空の上)
私は翔ぶのが好き
(私の翼が見えていたでしょ)

oh oh oh
(重力之下天空之上)
我喜欢翱翔
(可曾看见我的翅膀)

(重力の下 大空の上)
私は翔ぶのが好き
(私の翼が見えていたでしょ)

以上が日本語試訳。

以下は筆者の考えによる、歌詞の解説。


遥か太古の昔、天上の国の女王がみずから泥砂を材料にして「偶像」を作り出し、下界に向けて一人ずつ送り出した。これはGNZ48チームGメンバーの比喩。

*)2017/08/14追記:現地ファンの方から、中国の神話の、泥をこねて人間を作ったと言われる女娲(ニューワ)のことだと教えていただいた。

送り出された偶像は劇場の舞台という名の競技場に砂埃を巻き上げて降り立つ。ただし、作り出されたばかりの偶像はまだ自分を偽ることを知らず、素朴な夢を持ったまま、輝かしくにぎわっている劇場へと待ちきれずに駆け出す。

ここで「双面」のテーマが出て来る。デビューしたばかりのアイドルは、まだ夢を追いかけたいという真っ直ぐな思いを持っているだけで、それを時には偽装する必要があることをまだ知らない。

それら偶像が天上の国から下界へ降り立つ姿を、広州にいる下界の人間たちが振り返って見上げると、ちょうど広州塔の上から、永遠につづく美しい風景のように、偶像たちが身を躍らせて跳び上がり、GNZ48劇場の舞台へと降り立つように見えた。

それに驚く下界の人間たちに、偶像は言う。私を責めても仕方ないよ。だって私は翔ぶことが好きだから。

このあたりの比喩は、情景が目の前に浮かぶようで美しい。ペイペイ(林嘉佩 Lín Jiā Pèi( リン・チャーペイ) あだ名: ペイペイ GNZ48 Team G
 SNH48 5期生
 1998/08/16広東省生まれ
)が振付けでリフトされるのは、ちょうどこの歌詞の部分。アイドルたちが広州タワーの上空から、躍り上がるように下界へ降りてくる。

天上の国から下界に降りてきた偶像にとって、これが下界へ降り立つのは最後かもしれない。

ここで中国語の「一趟」は一往復の意味であることに注意。天上の国から下界へ降りて、また天上へもどっていく前提の物語になっている。

たとえそうだとしても歌を体全体で表現する。そうして初めて、かつて手のひらを握ったことが無意味にならない。

ここはもちろん握手会の比喩。握手会は天上から舞い降りたアイドルと、下界の人間、つまりファンとの交流の比喩。その交流が下界に降り立ったアイドルたちが全身で歌を表現する原動力になっている。

それを原動力にして、下界に舞い降りたアイドルたちは、それでも完全に下界には降りずに、つまり人間の世界に染まらないという最低の線を保ちながら、何万回でも歌うという決意だ。

その後、また天上へ戻ることになっても、アイドルたちは下界でのファンとの交流を決して忘れないと語る。

天上の国の女王が作った偶像に、誰が誰よりも気高いかなどという区別はなく、みな同じように美しい。

しかし、ここから歌詞のトーンが変わってくる。

沙羅双樹は下界の無常の象徴で、自分たちが下界で追おうと思っていた夢も、永遠のものではないということを知る。

天上の世界で作られた偶像にとって、この世界は永遠のもので、すべてが美しく、夢も永遠に枯れないものだと思っていたが、下界では必ずしもそうではないことを知る。

ただ、それを知ったからといってアイドルたちはもとの天上の世界に戻ろうとは思わない。

下界で生き抜くには華麗さを偽装しなければならないと知った後、アイドルたちは天上と下界という世界全体の上下をひっくり返す。天国だったものを下界に、下界だったものを天国に逆転させる。

すると今まで偶像を下界へ引きずり下ろす力だった重力加速度は、いまや天そのものになった地面すれすれに飛び立つための力に変わる。

最後の瞬間、誰かがもっとも素晴らしい歌を歌ってくれて、その後は何も存在しなくなってしまう、そんな世界の終わりを待つよりも、上下が逆転し、真実が偽装になり、美しさが醜さになった世界だからこそ、アイドルは自ら光を放つ意味がある。

風と稲妻のように耳元でくりかえしこだまする音は、観客の拍手や声援であると同時に、アイドルに浴びせられる非難や罵声が交錯した響きだ。

美しいと同時に醜い下界だからこそ、アイドルはこの下界にとどまる決意をする。いったい誰がこれが最後の一回(最后一趟)の旅だと言ったのか。下界に降りたときに旅が終わったのではない。

歓声と罵声の工作する響きがこだまする中でも、飛び続けられるのは、夢の重量が、上下の逆転した世界では、いまや下の方向ではなく、空高くへと飛び立つ力になっているからだ。その夢の重みを軽く見てはいけない。

これから何万回もくりかえし歌う、その一回一回の公演は、誰も退場しないような、それぞれが一度きりの価値を持つ公演になる。

下界という現実の二つの面、歓声と罵声の重みで、夢がさらに重くなればなるほど、それは逆方向の重力になって、アイドルが青空に向かって叫びを上げながら飛び立つ力になる。そのときアイドルの背中には、大きな翼が広がっている。

いまや天上となった下界へ重力は働き、その下でアイドルを飛び立つ。かつて大空だった天上はいまや下界となり、その上をアイドルは翔ぶ。

アイドルは上下の逆転した世界をただ無心に飛ぶ。美しさと醜さの両面があるこの世界でも、それでも飛ぶことが喜びだから。

そうして飛びつづけてきたアイドルの背中に広がった翼のことを、アイドルのファンはすでに忘れてしまっているかもしれない。

それでも、かつて下界に降り立った偶像が天と地を逆転させて、重力加速度の力で天に飛び立ったとき、初めて生えた翼を、たしかに見たと覚えているファンがいるかもしれない。

そもそもそれこそがアイドルとファンが共有する夢の始まりだったのではないか。

下界の醜さを知り、美しさを偽装することを知ってもなお、夢の重さを引き受けて飛び立つ決意をしたアイドルが、かつての下界へ飛び立つための翼こそが、夢を追い求める始まりのしるしだったのではないか。

その翼を見たときのことを、あなたならまだ覚えているはずだ。

…というふうに、かなり中二病的にこの歌詞は解釈することができる。

歌詞の最後にある「可曾看见我的翅膀」の「可曾」をどう訳せばいいか検索していたら、超時空要塞マクロスの主題歌『愛・おぼえていますか』が中国語で「可曾記得有愛」と翻訳されているのを見つけた。今は忘れてしまっているかもしれないけれど、昔は~でしたよね、ということ。

「可」は単なる強調で、「曾」は「かつて」の意味。「可憎看见我的翅膀」の意味も、今は見えなくなったかもしれないけれど、昔は私の羽が「看见」見えていたはずだという意味になる。

さすが甘世佳(ガン・シーチャー)さん。

筆者の解釈は完全にデタラメである可能性はあるが、ここまで深読みを許す歌詞を書けるところが本当に素晴らしいと思った。